c71の一日

生活の記録

あなたとわたしは別の人

あなたたとわたしは別の人。だから、自分がしなかったから、自分が選ばなかったからといって、他の人の選択を笑うのは自他の区別がついていない人。

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からかうこと、ちゃかすことができるのは、あなたが優位な立場にいるからだ。それが意識的ではないにしろ。
からかいは、権力の象徴だ。
権力なき者は、誰かをからかうことができない。
からかわれた側は、それに対して抗議することもできない。
からかいは、無罪なのだ。



からかうことができない人たちは、数を頼んで、世界を変えていくことしかできない。
世界を変える。


自分が、生き残れたから、その状況に適応できたから、大きく物事を変えようとしている人はフリーライダーだ。
保育園も、誰かが作ろうと思ったからあるもの。
そして、今は保育士の資格を持った人が、働けない状況にあって、賃金も安く、そして、保育園の数が足りていない。
その状況を変えないといけない。
なぜならば、日本は女性差別がひどくて、子どもの預け先がないと、仕事をやめざるを得ないのは女の人だから。



女の人の経済力を奪って、得をするのは男の人。
結婚という枠の中から、飛び出していくことを不可能にするのは経済的な困難だから、保育園がないことは女の人の自由を奪う。
ほんとうは、保育園のなさは、親である男の人にかかわることだし、ダブルインカムからシングルインカムになるのは、男の人にとっても損失だけど、なぜか男の人はそういうことは考えない。


企業も女の人を本気で育てない。女の人はやめるものだと思っている。
実際にやめるしかない状況を国が作っている。
ひりつくような選択肢を突き付けられて、女の人ばかりが選択していく。
男の人は仕事を辞めるかどうか、悩むのかわたしは男でないから知らないが、女の人は勤務地から、働く時間から何から何まで縛られている。常識、という言葉一つによって。
就職の時点から、女の人は、仕事を辞めるかどうか聞かれる。そんなことはわからないのに。



常識というものが、誰が作ったものか知ったときに、どう動くかということ。
常識という目に見えないものに殺されていくことごと。
常識を作る人たちは無意識に、共通幻想を形成していく。自分に有利なように。それはたびたび合理性を欠く。
だから、マジョリティに帰属できない時点で、不利なのだ。



わたしの中で、「あなたは結婚しますか」「彼氏はいますか」「子供を産んだら(やめてくれますか)」と聞かれた絶望は熾火のように残っている。
男の人はそんなこと聞かれないだろう。「女の人にできる仕事はうちにはありません」と言われたこともあった。


わたしはいつも、いつだって、日本死ね、と思っていたよ。そのたびに、頭を押し付けられるたびに。
女だからと言われるたびに。



女の人はそんな世界で生き抜いて、仕事を得て、そして、仕事を失う。お金がないと生きていけないのだ。
だから、自分がお金を稼げないと、誰かに従属しなくてはならないのだ。
支配されることの苦しさを、知っているか。


生きるためのすべを失いたくないと、抗うことを「そんなことを思いつくほうがおかしい」と笑うあなたは、自他の区別がついているのだろうか。国全体の仕組みで、女の人が仕事を失う世界で、できることは、他の保育園を探すことだろうだけだろうか。
国全体の仕組み自体を変えたいと願うことが、そんなにもあなたはおかしいのだろうか。


他人の絶望の熾火の熱さを知っているか。



きっと知りはしないのだ。
あなたと、わたしは別の人だから。