c71の一日

生活の記録

世界の終わりの果て

コンビニのアルバイトから帰ってきて、こそこそ調べていたら、わたしのブログが褒めれてるっぽかったです。


嬉しいです。


わたしはブログを書くとき、まず題名を決めて、中身を決めないで書いていることが多いのです。


だから、自分でもどういう結論になるのか、いつもわからないで書いています。
それで、書くのが面白いです。書く前はもやっとしていたことが、書き終わると自分で「なるほどなあ」と思います。


コンビニのアルバイトで腰が痛くなりました。
軽トラさんは、「でも、クーラー効いた中で働いてるんだもんね」と言いました。

軽トラさんは、大工さんなので、暑いのです。
軽トラさんは私のことを、うわべでなく知りたいのだという話を昨日したかったのだろうとレジを打ちながら思いました。軽トラさんは、腰も痛いし、暑いし、もっと大変なんだよなあと思いました。


わたしたちは、最初に話した人となりを知るときに良いところから知っていくの次の段階へ行くところなのかもしれません。ちょっといやかもしれない本質を出していく段階に来たのかなと思います。


わたしは、障害もあるし、その他にもいろいろあって、いかにも健康そうに育っていそうな軽トラさんがまぶしいです。知られたくない部分があります。それは拒否されるのが怖いからです。


でも、わたしは軽トラさんのことを知りたいです。
その気持ちが軽トラさんにもあるのだとしたら、わたしは誠意に応えなくてはいけないと思います。

今まで、軽トラさんは、いつでもわたしに気持ちを表現してきてくれました。
わたしは怖がっていたのかもしれません。気持ちを表現することで遠ざかってしまう人でないか、怖かったのです。


でも、少しずつ小出しにしながら、自分の姿を見てもらおうと思います。別に欠点を強調する必要はなくて、こういう部分もある、ということを見せていこうと思います。


わたしは世界の終わりにいるような気分でずっと生きていました。
その果てで、軽トラさんに出会い、育ちの良さや、明るさに惹かれています。
でも、軽トラさんもわたしに惹かれているのです。だから、彼にもわたしを受け入れる素地があるのかもしれません。


わたしと軽トラさんは、わかりあえないまま、友だちで終わるかもしれません。
それでもいいんだ、と思い直しました。


わたしは、振られたと思って、じゃあ、次に行こうと、昨日の夜帰り道に思いました。
でも、それではやっぱりさみしいと思いました。

それで、電話をしたら、彼は喜んでくれました。
わたしはもう少し自分を出していったほうが喜ばせられるんじゃないかと思いました。


友だちというのは、付き合うよりも難しいですが、頑張ってみる価値があることだと思いました。