c71の一日

生活の記録

その人が、自分で選んだことでも差別されてはいけない。

マイノリティが差別されてはいけないのは、「それ以外選べなかった」からではなくて、差別がいけないから。




「あなたのためだから」と良いことをしたい人がたくさんいる。



「あなたのために言っているの」
「あなたが困らないように」
「あなたのために」
という台詞を聞いたことがあるか、言われたことがあるか、言ったことがあるか、多分日本に住んでいる人類諸君はどれかに該当すると思う。


ASDは自他の区別がついていないと良く言われる。
自分の願望と、相手の行動が結びつかないことが理解できないのだとか。
たしかに、思い通りにならなくて暴れることはある。


でも、たぶん、この人はASDではないのじゃないか、と思われる人でも、上記の台詞は言うことがある。

みんな、親切にしたくて、良いことをしたくて、たまらないのだ。



当事者が取る行動は、一見、非合理的で非効率的に見えることがある。でも、当事者にも脳みそはあって、必ずしも帽子置き場ではないのだから、いったん他の可能性について考えていないわけではないのだ。


しかし、良い人たちは、当事者が気がついていないのだと思って、さまざまなアドバイスをする。たとえば、カミングアウトした瞬間から、「かわいそうな」「気の毒な」「助けてあげないといけない人」と一線ひいて、いつでも気をつけて観察するようになり、気がついたことを刻々と言ってくれる。お返しはいらないようだ。こちらからの、気がついたことや、反論はお好きじゃない方が多い。



カミングアウトしなくても、「しっかりしていない」感じのする人には何を言っても良いと思っている人もいるようだ。
「なんとなく変な感じ」がするから、普通になるようにしむけるとか。
こちらとしては、どうしてこんなに否定してくるのだ、逃げ場がない、もう殺すしかないくらいに思い詰めていても「好きだから言うんだよ」と返して来て、絶望することもある。


犯罪や人を傷つけること、ひどいマナー違反じゃない限りは、放っといてほしい。それこそ、ASDの自他の区別がついておらず、自分の願望通りになってほしい、という気持ちと同等の、
「あなたのため」に現れているのだと思う。そして、その上、その責任や自分が良い気分になりたい、ということを引き受けていない台詞でもあると思う。
ASDが区別されるのは、単に、大勢じゃないせいであって、自他の区別がついていないから、というわけじゃないのではなかろうか。

(すごく困っているかもしれないときには、困っているか聞くことは大事と思うが、それは間違える人はいないか……いないでほしい)


具体的な話をすると、心を込めて働く、というのもそうだ。それも自他の区別がついていない人が話しだすと迷惑だ。実行も。そういうのは、たいていの人に取って大きなお世話であって、一部の経営者が得をするだけの話だと思う。
わたしは、時給分の分を働いて、その日をなんとか送れればそれでいいのだ、と思っているけれど、時給じゃなくて、心を込めて、そこにいる以上はその人の精一杯を込めて、それができない場合は時間が過ぎても残って、みたいなことを言う人は存在する。本当に、くだらないと思う。人を病気にする。
わたしの意見を言うと、「だからダメなんだよ」と言う人はいる。



たとえば、コンビニなんかで、心を込める人はその人がそうやっていればいいけれど、それを人に求めた瞬間、いじめなような感じになって、他のバイトが居着かなくなってしまうから、みんなが損をする。経営者だって人手が集まらない時代だから困るだろう(たぶんね)。それよりは時間の中でいてくれて必要最低限のことをやってくれる人の方が良いはずだ。


コンビニバイトに時給以上のことを求めるのは、本当に馬鹿げたことで、良いサービスを求める人は、高いサービスを売りにしているお店に行ってほしい。そういうのが好きな人はそれだけのお金を払えば良い。



こういうことをいうと、「割り切っていて冷たい」みたいに言われる。だけど、時間ってのは人生の一部で、人生の一部は、命だ。命を削れ、無償で、と言っている人たちの方が冷たい。だいたいの人は人生を全うするためのお金を稼ぐためだったり暇つぶしだったり生き甲斐のために働いているのだと思うけど、お金や報酬が出なかったらしない。(家事育児再生産心遣い、などのシャドウワークってのはお金が出ないから困る。人生そのものみたいに言われてその人の選択だから、それを選んだ責任があるから、弱音も吐いたらいけないし、報酬もでないのが当たり前で、養われているのだから、と言われるので本当にシャドウワークに携わるのが当たり前に言われているからだを持っているのはいやだ)



人生の一部を受け渡すときには健康も付随しているわけで、お金も出ないで命を渡していたら健康がいくらあっても足りない。楽しみでやっている人は楽しみでやれば良い。
だけど、他の人を巻き込んではいけない。


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マイノリティである、ということは、ある種の属性を持っているということなのだけれど、それを選ぶ場合がある。
たまたま事故に遭うようにしてそうなった場合もあるけれど、自分の意思で選んだ場合もある。

そういうときは、「自分が選んだのだから」とか「変えられるのだから変えれば良いのに変えないのだから、(自業自得)」みたいに言われる。

職業なんてまさにそうで、たとえば、「かわいそうな人が貧乏だから選んだ」「考えなしの人がお金欲しさに選んだ」「性欲の強い人が楽しみのために選んだ」みたいに言われやすい職業(性欲が強い、はセックスワーカーのことを例に出していて申し訳ないけど)があるけれど、当たり前だけど、職業を選ぶときに、人と同じだけ理由がある。
そして、その理由は、他の人が「今転職したいけど転職できない」「就職したいけど就職先がない」「仕事を選んでいるわけじゃないけど向き不向きと給料と拘束時間くらいは選びたい」「今引っ越したいけどそのお金がない」とかと同じくらいの「しかたなさ」があるのだけど、マイノリティだと「いや!本人の強い意志があれば変えられるはず」のような意見を無防備に言う人が多い。


ASDだったら、より注意深く生きれば良い、とか、二次障害にならないように生きれば良いとか、オタク趣味だったら自分を貫けば良かっただろう、とか、まあいろいろある。
でも、それは人によって強さや弱さが違うから、我慢すれば解決する、というのは、乱暴な話だ。
インフルエンザ、我慢できる人と我慢できない人がいるでしょ。
我慢できなかったら死ぬってことだよ。
それと一緒。
って話が理解されにくい。



(属性を変えることで、もしくは、属性を変えないことで、マイノリティは死んでも良いと思われているのかもしれない。それこそ自他の区別がついていない、と言うことだと思うが。死ぬか死なないかまで口だされたくないよ。究極の口出しだ。迷惑だ。


属性っていうのは、本人が、いろいろなことを考えた結果や、偶然の結果、たまたま得たものなんだから、そんなに簡単に変えられない。また、簡単に変えられる(ように見える)からと言って、外野が口を出しても責任を取れない。結果がどうなるのか、誰にもわからないのだから。

属性を変えた結果、事態が悪化したとしても、本人以外はその痛手を処理できないのだ。本人だけがいつも痛い)

「根本から解決しないと」「根っこから解決しないと」と言う人もいる。でも、表象を変えれば、だいぶましになるし、根本を変える前に、死ぬから、表象を変えればまだましになるじゃん、って意見はそういう人たちは聴くのを好きじゃないみたいだ。



マイノリティや、差別されることの原因は、「自分じゃ変えられないこと」ってことになっている。だから、「差別してはいけない」って論理構成になっている人を良く見る。性的マイノリティなんて本当に良くそういわれているよね。生まれつきだから、って枕詞につく。最先端は違うのかもしれないけれど、わたしの周りの理解のある人(みたいに振る舞う人)でも、「生まれつきだから変なことじゃない」って言う。


けれど、そうじゃなく「自分が選んだこと」だろうが、そうじゃなかろうが、「差別されたらいけないし、許さないし、差別してはいけない」。そうでじゃなければ「本当は差別されても仕方がないひとをかわいそうだから。差別しないであげている。生まれつきだから」だ。「変えられないことを差別したら、その人死んじゃうでしょ」みたいな。「死んじゃったらかわいそうだから。かわいそうな人をいじめたらいけないから」みたいなさ。



でも、そうじゃなくて、本人が堂々と選択したことを、尊重する、てのが当たり前なのだ。
それが前提であって、差別しないってのは、もう、本当に最低限のことなのに、そこで話し合っている人がたくさんいる。


差別されることを選ぶ人はいない。
選んだ結果差別されるだけだ。
それは、本人の自由意志で選んだことと違う。
選んだ結果、社会が、差別するのだ。
それを最初から知っていたら、知っているのだから、選択肢に含めないだろう、それなのに、選択したと言うことは差別されても仕方がないし、本人もそれを引き受けているのだ、というのは、差別する側の理論だ。そういうルールを共有してはいけない。




マイノリティだから、かわいそう、ってのはおかしくて、マイノリティの属性を持っているから、かわいそうに思われやすい状態に、一時的になってて、それは社会の不備だから、反省しないといけない。そもそも、他人にそこまで許可も得ず、踏み込んではいけない、って話なのだ。
自他の区別の話だ。




「選んだこと」「選ばなかったこと」「選べなかったこと」で区別するのはいけない。
差別は差別だからいけない。かわいそうだ、という気持ちは大事だけど、かわいそうだから、侵害しないとか、攻撃しないであげる、というのは、ベースが侵害や攻撃だからいけない。
差別は差別だからしてはいけない。そういうルールが一番大切なことだ。