c71の一日

生活の記録

周縁の女、殴ってヤスリで削ってく。

規模の大きい話をしていたら、主語が大きくなる。
それは、構造の話をしているからだ。
差別とは個々の行動でもあり、社会的な制度でもある。
構造なので、「わたし」「あなた」だけの問題ではない。
フェアではない構造があるから「わたし」「あなた」の関係が、フェアではない場合がある。


構造的に、差別が起きている場合、主語を大きくせざるを得ない。
それを否定することはできない。
否定させるとしたら、それも抑圧であって、周縁の女をより周縁化するための方便だ。


わたしは今回、プリミティブな戦い方をした。それは、宮沢さんが虐待的な中傷をされていたからだ。
他の女性が、同じ目にあったとしたら、その人に縁があったら、やり方が正しいとは言えなくても、同じことをするだろう。中傷発言をした女性の気持ちを損ねたのは確かだが、彼女が暴言を吐いたことに抗議する方が優先だった。


周縁化された女の例として、女の表現者、女の精神病患者、セックスワーカーなどが上げられる。
宮沢さんを例にして申し訳ないが、彼女が損なわれたきっかけは、虐待と、貧困が理由だ。彼女が貧困に陥ったのは、女性だから、という理由が大きいようだ。
これは、社会的な不備だ。
社会的な不備を、わたしは差別だと言う。

周縁化されている女の表象は異なっていても、損なわれる理由は同根だ。そこには虐待と貧困がある。これは、男性中心社会が、意図的に用意した仕組みである。
女性の賃金を安く抑え、就職しづらくし、働きづらくし、周縁に追いやる仕組みを作ったのは、男性たちだ。(国会を見ても、会社の幹部を見ても、ほとんどが男性だ)
同じように、セックスワーカーや、女性表現者、病人が、社会的にぼこぼこに殴られるのも、女性差別からだ。
それが巧妙に見えなくされている。見えないので、殴られた当事者も、誰に殴られたのか、気がつけない。殴られたこと自体も、自覚することを抑圧されている。
被害を受けたと声を上げると、より叩かれる。自覚すると、うっとうしい、小賢しいと言われる。
女らしくないとも。それじゃ、愛されないとも。
人が離れていくと言う人もいる。
そうやって、周縁化された女たちは、世の中のはじで、ひっそりと暮らすことを押し付けられる。
そして、世の中のはじの仕事は、世の中のためにどうしても必要なものなのだが、周縁化するまで弱らされた女は、仕事をえり好みできないので、ダンピング化された仕事を、危険な条件で働く。
そして、それも自分自身が選んだことだ、とか、努力不足、などと、言われてしまう。
逃げ場がない。


そういう仕組みがある。


だから、わたしは、ブログの読者が、離れていこうとも、それに対して、対抗し続けることを決めた。


差別されることによって、命の危険がある場合、言論を使って、殴るしかない。
わたしは、言葉の腕力が強いから、気をつけないと殴りすぎてしまうことがある(精神は弱いけれど言葉は強い)。

言論腕力が強いからこそ、できることがあるのではないかと考えた。


スティグマ、つまり、烙印がある、と言ってくる人に対しては、言論腕力で殴る。それは、あなた自身が作り上げて、その相手にわざと突きつけた物であって、自分自身では親切のつもりなのかもしれないが、差別なのだと言うことを、わたしは言うだろう。


スティグマがある、社会に認められないよ、親切で言っているのだよ、と言ってくる人は、その人自身が、周縁化された女に、スティグマを背負わせた本人だから、わたしはその責任をいちいち問いていきたい。
社会がそうだから、じゃなくて、あなたが、スティグマを女に背負ってほしいと、願望を持っているのだろうと、突きつけたい。

そんなことじゃ、いじめられるよ、叩かれるよ、と言う人には「あなたが叩きたいんだろう」と言い返したい。
それでいじめられたとしても、いじめる側が悪いのだ。
前もって「こうなるよ」と呪いをかける人も、ほとんど親切ではない。



わたしが最近女性差別の中でも、特にセックスワークについて言及する場合が多いのは、一番殴られている(差別されている)からだ。



精神的、肉体的暴行を受けながら、受ける可能性に常に怯えながら、働く職場がある。
そこで働いている人たちの中には、自分が殴られていることを自覚できないまま、弱っていく人がいる。また、殴られていることを自覚できないように巧妙に隠蔽する仕組みもある。


だから、弱っていく女性たちは、自分が悪いのだと、自分を責めていき、周縁化されて、分断されているから、誰にも、話すことができず、その傷を癒すこともできず、ゆっくりと心を暗くしていく。


わたしはそれが許せない。だから、わたしは男性中心社会の言説を殴ることに決めた。
殴っている人がいたら、それだけで、自分が悪くないのだ、という気持ちになったり、殴られていることに自覚できたりする人が一人でもいるんじゃないかと思うからだ。
周縁の女を励ますことは、自分自身をエンパワメントすることでもある。


宮沢さんが批判されたのも、女の表現者だから、という側面がある。先日の、セックスワーカーのための、ユーストリーム、サービスするわよ!!の感想でも、いろいろ書いたけれど、わたしも含め、周縁化された女の生きにくさは、「女だから」というところが大きい。


女としてサバイブするためには「女らしくあれ」「おとなしくあれ」「ことを荒立てる事なかれ」という呪いがかかっている。
しかし、その通りにしていたら、女性の権利は向上しない。わたしたちが、今かろうじて持っている権利は、黙れと言われながら、黙らなかった先人のおかげだ。


だから、女として、損だ、バカだ、と言われ続けても、わたしは黙らない。


宮沢さんは、セミヌード写真を出し、叩かれたけれど、そのことと、セックスワークをしている人が叩かれることと同じだと思う。
女だから、女のくせに、というわけだ。それこそ「女性らしさ」をそのまま表現したこと自体が、「女らしくない」ということになる。不思議なことだ。


わたしが考えたいことは、最周縁にある。そこに、わたしの知りたいことがあると思う。
最周縁とは、女性の表現者セックスワーカー、精神病患者の性、などにあると思う(他にもあるだろうと思うが、守備範囲外なので)。


そこには、貧困や、フェアネスの欠如などがある。ライツを奪われた状態で、生きていかなくてはならない女性たちがいる。
男性たちや、名誉男性は、自分で選んだことなのだから、もしくは、努力が足りなかったのだから、と片付けようとするが、ライツが奪われることは、本人がどういう人だろうと、あってはならないことである。どの状況を選び、どの状況に陥ったとしても、安全に安心に暮らせる権利は誰にでもあるのだ。


しかし、周縁化された女たちにはそれがないのが当たり前だと思われている。それが、周縁化したことの、その落ち度の、結果だと見なされている。わたしはそうではないと思う。


差別をされ、死にそうな人がいるのなら、わたしはささやかでも言論腕力を使って、社会を殴っていきたい。
殴れる範囲で、少しずつ、殴っていきたい。
社会なんて大きなものを、変えられるとは思っていないが、わたしのような人がいる、と言うこと自体が、そういう人がいるということ自体が「そんな人がいるんだ」と思ってもらえ、世の中の多様性があることを知ってもらえ、「殴られていることに無自覚なまま弱る人」の心の状況が少しましになるのではないか、ということを望む。



殴られて当然な人はいない。でも、そう思わされるような仕組みがある。
殴られている、ということに気づけない仕組みがある。
周縁の女たちにスティグマを烙印して、それがあるから、お前たちはもう真っ当には生きられない、だから、何をされても仕方がないと、気力を奪っていく仕組みがある。



わたしがすることは、人にいやな気持ちにすることもあるだろう。
当事者をいやな気持ちにすることも当然あるだろう。
でも、わたしにはできることがある、とも思っている。


女の問題は、わたしの問題である。


これから、エントリの内容が、ときどき、少しずつ変わっていくだろう。
読むかたたちは、面食らうかもしれないし、いやな気持ちになるかもしれないが、わたしは書くだろう。
それは、怒りを大事にしている。
見たくない物を見せることもわたしの自由だと思っている。
今までの当たり障りのない、差別についてのエントリから、当たり障りのある、差別のエントリに変わっていくだろう。


正直にいって、わたしも周縁の女だ。だから、そんなにも非当事者でもない。それでも、わからないことを書くのだから、間違っていることもあるだろう。でも、少しずつ成長していって、孤立無援で弱っている女たちに無関係ではいたくない。


周縁化された女たちが、差別に直面するとき、その言葉を吐くのは、個人の口だが、それは、社会から認められていると思って吐く言葉である。
だから、わたしはその個人とともに、社会を殴っていく。
わたしの力はとても小さいし、何も変えられないかもしれないけれど、差別の結果、人が死ぬのはもういやだ。

正しさにはいろいろな正しさがある。ひとつの正しさだけじゃない。
それはわかっている。わかっているけれど、たったひとつの正しささえ、奪われている人間がいる。
健康でいる権利を持つこと。内心を推し量られない自由。安全な職場。安心できる環境。
そういったものを奪われている人たちがいる。
わたしはそれについて書きたい。


わたしの文章は荒い。表面が荒い。洗濯板や、ヤスリのように、どんどん相手を削っていく。
削ったあとには滑らかになることを信じて、わたしは書くだろう。
周縁化された女について。