c71の一日

生活の記録

差別者が良い人の顔をしてやってくるとき

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差別者は、悪い人であるとは限らない。
良い人も差別者になる。



他のことにはまじめで良い人でも、たとえば、女性をからかうことは、生活の潤いになると考えていたり、ネット上で、少し冗談を書くだけだと考えている場合がある。


自分自身の差別性と向き合わない場合、自分は差別者ではなく、他人が差別者だと分断する危険がある。
「痴漢の敵」というのは、まさにそうで、「自分は痴漢じゃないから」と無邪気に考える人がつけるバッヂと化した。
被害者からすると、加害者が「より見えにくくなる」だけであって、メリットはない。ただの隠蔽だ。



自分と痴漢は違うものだ、と分断することは、とても危険で、自らの加害性を向き合わない口実を与えることになる。
実際、加害者は自分のことを加害者だとは思っていない。


「これくらい」「相手も喜んでいるのだろう」と思ってやっている。



触らない痴漢について、「触らない痴漢というのはおかしい」というはてブが付いたが、「性的からかい」「性的いやがらせ」も痴漢である。
卑猥な画像を見せたり、動画を見せたり、動画を見ている自分を見せつけたり、露出狂がいたり、体全体で、密着してくる痴漢もいるし、卑猥な言葉を投げかけてくる痴漢もいる。どれも触らない痴漢だ。触るぞ、と脅してくる痴漢もいる。



被害者の受ける心の傷は、どれもしっかり残る。
刑事告発することはできない場合が多い。それは、女性の地位が日本で低いままだからだ。



星井氏のしたことは「加害」ではないと言っている人もいたが、「被害者」はそうは受け取らない。
まず、卑猥な言葉を投げかけられたことに、恐怖を覚えるし、しかもその客体が自分なのである。
日本では「自衛しろ」という声が多い。だから、自衛することを前提にすると「予告だ」と受け取るしかないのだ。


加害者は気楽に、性的なからかいをする。被害者は、それを受けて、様々な反応を引き起こされる。
困惑したり、怖がったり、それが実行に移されるかどうか心配したり、実行に移された場合、どうするのか思案したり。


言った側は、言っただけだ。


そんきょば氏は、「言った側」に立って、「それくらいのことで」と思ったようだ。


怒った人たちは、「言われた側」に立っているから、被害者の心の機微に寄り添っている。



そんきょば氏のnoteを見ると「男性も被害者だ、なぜなら冤罪が怖いから」と書いてある。女性に寄り添うことから離れて、論旨のほとんどが、冤罪被害に費やされている。



それでも、わたしたち(あえていうけれど)は、男性がアクションを起こしたことに「感謝」して、「長い目」で見続けてきた。


しかし、彼らは「痴漢がどういうものか」を考えることすらしないで、アクションを起こしたことが明らかになった。


触らない痴漢があることも、彼らは知らなかった。
それどころか、自分を自省して、自分が痴漢行為を働いたことがないか、考えることも怠った。


「痴漢は俺の敵」というのなら、痴漢が何か知らなければ、その敵にはなれないだろう。
痴漢が何か知らないまま、痴漢は俺の敵、というのなら、そのバッヂは、「俺は痴漢じゃない」ということを表明するだけの目印だろう。
そのバッヂをつけていたら、「告発」から免れる強い力を持つ。


今、ただでさえ、「あの人はいい人だからそんなことをするわけはない」と言って、性被害は軽く見られ、もみ消される。


「騒いだほうがおかしい」と言って、「冗談なのに」と卑猥な言葉や性的からかいを言った相手をかばい、被害者の頭がおかしいような扱いをする。
被害者は、「犯罪予告」と考えて行動するしかないのに、行動したらしたらで「おかしい」と言われ、行動しなかったらしなかったで「自衛が甘い」と言われる。性的からかいをされた時点で、さっきも書いたように、被害者の心には、様々なことが起こるのに、それは、なかったことにされる。



差別者はいい人の顔をしてくることが良く分かった。
あなたの味方ですよ、と言ってくる。
でも、考えることも知ることも、寄り添うこともしない。
ただ、差別者は、いい人だと言われたいのだ。自分が差別者だと言われたくないのだ。
そういうことがわかった。


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