マイノリティを孤独にしない
アセクシャルの人から「自分の意見だけど、ロマンティックラブイデオロギーに触れるだけで削れる」ということを伝えてもらいました。
わたしは自分の想像の範囲で書いているので、もちろん間違ったことを言います。だから、教えてもらってありがたかったです。
なぜ、間違うことを承知で書くのかというと、マイノリティを孤独にしたくないからです。
議論せず、話題にせず、触らなかったら、世の中から、いないも同然の存在にされかねないという危惧があるからです。
周縁化されてしまうということです。
当事者以外が、アセクシャル、デミセクシャルについて考えることには一定の意義があると思います。
内側でまとまってしまったら、外の世界と橋渡しする存在がいなくなってしまうからです。
だから、わたしは、間違えます。間違えたら、謝ります。そして、考えを訂正します。訂正して、進んでいくのだと思います。もちろん、その過程で人を傷つけることもあると思います。
だから、黙っていたほうがいいという人もいると思います。でも、黙っていること自体が、人を傷つけることもあります。
だから、わたしは考えます。
思いをはせるだけでも、議論の俎上にのせるだけでも、話題にするだけでも、意義があると思うからです。
マイノリティは、生きにくいです。マイノリティであるだけで生きにくいです。
ダメージがあります。言葉を発しにくいです。
わたしは、マイノリティでもあるし、マジョリティでもあります。だから、書けます。
わたしは、差別している可能性があります。そのことも、考えたいです。
加害者は、反省したとしても、被害者を再び踏む可能性があるから、ずっとその話題については黙っていろ、という意見があることも知っています。
しかし、誰もが加害者になります。被害者にもなります。加害者になったとき、話してはいけないとしたら、自分が被害者になったとき、加害者であることと被害者であることをほとんどの人は分けられません。
加害者も成長する必要があります。そのためには、考えることが大事です。考えるためには言葉にすることが重要です。
その言葉を、公開するかどうか、また議論するべきと思います。
ただ、わたしは、間違いながら、考えて、間違ったら、謝りたいと思っています。
わたしは、孤独な人を孤独なまま、放っておきたくないのです。
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