c71の一日

生活の記録

病気は社会とつながっている

昨日は、十四時間寝た。今日は四時間半で起きた。
睡眠時間がいろいろだ。昨日は起きていられなくて、今日は寝ていられなかった。
寝つきは悪くないのだけど、起きてしまう。
それはそれで困る。



減薬しているので、不安定になる。
薬で安定して、その間に経験値を稼ぐ、という方針だったのだけど、今度は、不安定になるのだから、環境を整えないといけない。
仕事を減らそうと思う。




薬を飲むっていうのは、何かを犠牲にして、その代わりに経験値を稼ぐってことだ。安定した生活をすることで、病気の代わりの経験値を稼ぐ。
症状を抑えて、その間にできることを増やす。そういう前向きなことだ。


わたしの病気は治らないけれど、病気を穏やかにすることはできる。


病気に振り回されるばかりの生活を、薬によってコントロールし、病気以外の経験を積むことができる。
病気の経験は十分積んだので、病気以外の経験を積みたいのだ。



わたしの薬はどれも眠くなるものだ。
躁を抑える薬、躁鬱を抑える薬、うつを抑える薬、不安を抑える薬、精神安定剤、睡眠薬。それぞれいくつかを組み合わせながら飲んでいる。
あまりに眠くなるものだから、仕事に支障が出て、減薬することになった。安定してきたのも理由だ。


減薬は非常につらい。今までできたことができなくなる。ブログを書くこともそうだ。ジェットコースターのような気分の波に支配されて、行動が制御できない。自分で何をしたいのか、わからなくなる。その場の欲求に引っ張られて、自分を抑えることができない。


減薬をして、今までどれほど薬に助けられていたか、と思う。飲みなれた薬というのはありがたいものだ。



排卵日前後の症状も重くなってきたので、漢方を出してもらった。これも、効果が出るのはしばらく先だ。



薬を飲むと、体に負担が来る。でも、病気のほうが負担が大きい。行動の制御が利かない、ということは、衝動買いも増えるし、人間関係も抑えが利かなくなる。判断しているようで、判断できていない。冷静な判断というものが、どこにあったのか、しまった場所を忘れてしまった。



薬を飲んでいてもいなくても、わたしはわたしだ。
双極性の診断が出ていないころ抗うつ剤を中心に飲んでいて、希死念慮が強かった。不安定で、しょっちゅう死にたいと思い、アッパーな時ほど行動力が出るので危なかった。


でも、そのときも、わたしは生き延びた。そして、今度も生き延びて見せる。生き延びてみる、という姿勢こそが、わたしの根底にある。
死んでたまるか、と思う。



死ぬなんて、大げさかもしれないけれど、何度も死のうと思った頃がある。
そのため、生きにくさについて考えるようになった。主治医は、社会構造のいびつさがあるのだと言った。


わたしは子供のころから、それこそ小学生のころから、男女平等や、ウーマンリブやフェミニズムに興味があった。そのたびに、学校とぶつかった。理解されにくかった。そして、向こうからは扱いにくかったと思う。



社会に異議だてることの視点があったことが、わたしの生きにくさを生み、そして、わたしを生き延びさせてきたと思う。



三島由紀夫の暴力装置の論考について書かれたものを読んだとき、「暴力装置とは、公権力にも、犯罪にも使う言葉なのだ」と知った。それが、法によって根拠を得ているものか、権力を下地にしたものか、その違いしかないということ。だから、公権力による暴力についても、わたしたちは監視する必要があるということ。


わたしが生きにくいということは、普遍性のある社会問題だったということ。就職のしにくさや、生きにくさ、女として生きることの閉塞感、暴力との隣接、そういうものは、わたし固有の問題ではなく、ある程度普遍性を持っていたものだということ。



病気と一体となりながら、自分と病気の境目もあいまいなまま、わたしは考え続けてきた。考え続けてきたから、今も生きている。



薬を飲んで、少しずつ生活が安定してからも、考えは変わらなかった。変わらないどころか、もっと強くなった。


病気は社会とつながっている。



わたしの感覚過敏は、昔なら役に立っただろう。ほかの人が感知しない情報を得ることができるのだから。でも、今は必要とされないから、わたしの感覚過敏は問題となり、感覚を鈍くすることが求められる。



自閉系の人は、ほかの人々と変わった考え方をするようだ。ほかの人が言ったり書いたりすることを分析すると、何を重要視するのかが、違う。
例えば、わたしは社会性をあまり重んじないけれど、ほかの人は社会性を重んじる。社会性を重んじると、快適に暮らせる一方で、抑圧にも苦しむことになる。わたしには「世間」からの抑圧を感じにくいけれど、その分、快適に軋轢なく暮らすことをあきらめている。軋轢を起こすほどの人間関係を維持しない。嫌いな人とは挨拶しかしない。これは、インターネットの普及のおかげで実現したことだ。半径五メートルの人間関係で足りないところは、インターネットの知り合いの力を借りている。


社会の在り方と、暮らし方と、選択と、病気の関連性は常にある。今の時代では、わたしの特徴は社会に合わない。だから、病気と言われたり、障害と言われたりする。わたし自身も苦しい。だから、障害という言葉を受容する。



障害というのは、自分自身の本質じゃなく、単に社会との相性なのだと思っている。だから、障害という言葉は、社会との相性が悪い、そのために障害が生じる、そういう意味での「障害」なのだと思っている。



わたしには、いろいろな病気があって、その病気の影響を思考は常に受けている。その反面、そのことが、わたしの独自性を産んでいるともいえる。苦しいことだけれど、受け入れている。ほかにやりようも選択肢もないからだ。



だから、わたしは独自の生き方をする。ほかに選べないからだ。ほかに選べないことを積極的に選んでいたい。わたしの選択はいつも、やむを得ずの面と、進んで、好んでそうしているという面がある。



自分をごまかして生きることは、ごまかしている自分を好む人を呼び寄せることと同じだ。一度、自分を裏切ったら、その裏切った自分を好きな人のために、自分を欺き続けなくてはならない。



自分がどれだけ不格好でも、その個性を素直に表現していたら、そのままを好きな人たちが寄ってくる。嫌いな人は離れていく。選別ができる。多数の人に好かれるために自分を変えるよりも、ずっと効率が良い。少数の人に大事にされるほうが、楽に生きられる。自分を偽るほどの体力がないことが、わたしを生きやすく変えた。やむを得ず。




病気をしていると、社会のことを考える。社会の中で、どうやって生き延びていくのか、戦略を立てる。その過程で、社会のいびつさに気が付く。そして、告発する。


社会に素直に適応している人は、いかに適応できるかだけを考える。それだけだと、社会は変わらない。



社会とは、その発生からいびつなものだ。夜警国家として発生したそのときから、認められた暴力と認められていない暴力いうアンビバレンツな意識に引き裂かれている。



その変えられないゆがみをまっすぐに見据えていくこと、意識の中にとどめていくこと、そのうえで社会をより良いものにしていくことが大切だ。



病気という窓から社会を覗く。わたしは生きているから、いろいろなことを考える。消える考えも、残る考えもある。



病気を通して、社会を分析する。わたしというからだを通して、社会を感じる。



わたしの病気は社会とつながっている。つながりがある。わたしは忘れない。わたしがどんな構造体の中で生きているのか。

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