女性差別と中傷
菅野氏にインタビューしてからというもの、ツイッターで中傷されるようになった。
驚くべきことに、中傷をしたり詮索をしたりするのは、すべて男性だ。
女性がものをいうこと、検証をすることに対して、それだと信ぴょう性に欠けると思っているのか、そうだとしたら、これは女性差別だ。
女性がものをいうこと、ゴヒエツコ氏という、「性被害者」から加害を受けたことを訴えるにあたって、心無い中傷を受けてきた。
加害とは関係のない、わたしの属性である双極性障害や、自閉症のことも揶揄された。
自閉症や、双極性障害があるから手加減していたという意味のことまで言われた。
これは、わかりやすい障害者差別である。
障害者がなにかすると、その訴えに信ぴょう性がないと、勝手に決めつけること。
わたしは、取材を行い、「菅野氏は加害をしていない」という結論にたどり着いた。
わたしの取材の筋道からは、そのことは、飛躍していない。
けれど、菅野氏に電話したことをもって、「丸め込まれた」という人が数多くいる。すべてが男性だ。
女性だから、男性に丸め込まれるのだと考えたとしたら、女性差別だ。
どうして、わたしが菅野氏に丸め込まれないといけないのだろう。
その根拠は提示されていない。そればかりか、わたしが「菅野氏に丸め込まれていないという証拠を出せ」とまで言われた。
疑っているのは、そちら側なのに。そちらが、疑うに足る証拠を出すべきなのに。
確かに、菅野氏は、事実を認めると言っている。
けれどわたしは、その事実を認めるということを聞いたうえで、ゴヒエツコ氏の被害がなかったと結論付けた。それは、わたしの自由である。
自由に考えてよいですよ、と差別者は言う。
しかし、わたしの自由に許可はいらない。
わたしは生きていて、生まれながらに、自由を持っている。
わたしの自由が制限されている時代があったけれど、それは間違っていた。
だから、私は生きるために全力で「許可」された自由に抗う。
差別者は、自分が、他人の自由に口を出せると思っている。
わたしを中傷してきた人のすべてが男性なのは偶然だとは思えない。
わたしがミサンドリーだから、そう思えるのかと思ってきたけれど、現実問題、わたしを「簡単に言いくるめられる存在」だと考えているのは、全員男性なのだ。
わたしの属性の一つは女性だ。
女性だから、調べて考えたことを否定されるのだとしたら、これは女性差別だ。
同じように調べている人が何人かいるけれど、その人たちはどうなんだろう?このような男性のみからの中傷を受けているんだろうか?聞くすべはないが。
わたしは電話取材だけでなく、関係者にも直接会った。ゴヒエツコ氏に、勝手に「関係者」にされてしまった人たちだ。
週刊金曜日は、中島氏の関与がどれくらいだったのか、調べさえすればいいだけなのに、それもしない。
メディアは公権力と同じだけの権力を持つのに、わたしの私信を公表した。
そして、自分に都合の悪いことには言及しなかった。
だから、困っている。
女性差別を感じない、という人もたくさんいる。
でも、それは言語化しにくい形で差別されているからだったり、現実に適応するために感じないようにすることが生きるすべだったりするんじゃないかと思う。
中傷してくる人がすべて男性だから、女性差別とは限らないという思いもあった。
でも、やはり、これは女性差別なんだと思う。
女性がものをいうことに信ぴょう性を欠く、障害者だから信ぴょう性を欠く、というのなら、すべてそれは、差別だ。
敵を作るのが好きなのかと言われたが、別に好きじゃない。
ただ、差別者に味方面される筋合いがないだけだ。