軽トラさんに花火に誘われたよ
軽トラさんに花火に誘われたよ!
まあ、それだけと言えばそれだけなんだけど。
それと、及川光博が好きなことを軽トラさんは知ったので、今信長のシェフに出ていることを教えてくれた。わたしは押し入れからテレビを引っ張りだして観た。
軽トラさんが言うから観たんであって、他の人が言っても、テレビを押し入れから引っ張りだす原動力にはならなかったと思う。わたしはよく頑張ってテレビを観た。とても偉かった。
そして、及川光博はかっこう良かった。でも、テレビは苦手だ。
花火を観に行くなんて、彼氏彼女みたいじゃないか、と思ってしまいます。
仕事帰りにちょっと遠出して見に行こうと話しているのです。
わたしは浴衣の着付けができないけど、安いのでも良いから買って、着てしまおうかな、ドキドキ。
うふふ、楽しみだなあ。
でも、彼氏彼女でなくていい。楽しい時間を一緒に過ごせれば良い。
だんだん、一緒にいるのが楽しくなって、一緒に過ごす時間が当たり前になれば、良いなと思う。
特別な関係になるよりも、一緒にいて、楽でリラックスできる相手になりたいと思う。
友だちでいようと言われて、急いで形や名前のある関係になるよりも、ゆっくり一緒にいる時間を積み上げていく方が安心できる。そう考え直した。
花火は綺麗で、どん、と音がするし、きっと夏の空気は良いにおいがする。風が通る場所で二人で花火を見る。夏の夜はいつも特別で、懐かしい気持ちになる。
祖母の癒えにいったことや、金魚の浴衣を着せてもらったこと、盆踊り、お菓子をもらったこと、夜更かしして眠くなったこと、そんなことが体に染み付いている。
花火を見ると、そんなことを思い出すまでもなく、からだが喜ぶ。知っている。楽しいことを。
綺麗なものを見ること、それを一年かけて作っている職人さんがいて、花火を喜ぶわたしたちのために、作業していることも大人になったから知っている。
みんながわくわくする。
花火は特別なものだ。
それは単なる火薬と金属の化合物の固まりだけど、華やかで人の心を動かす。
鉄や銅やマグネシウムやストロンチウムを見て、ロマンチックな気分になるなんて不思議だけど、でもそうなんだから仕方がない。人間はおかしい。
一瞬の光の織りなす模様を見て、何か感じる心がおかしい。面白い。愉快だ。
目の奥に残る光の残像を楽しんでいるうちに、煙に濁る夜の暗さに新しい光の花が咲く。
それも繰り返し、繰り返し、飽きるまで。そして静寂が訪れて、人々のざわめきが還ってくる。
そして、また新しい現実と日常が始まるんだ。
日常を切り替えるために、切り捨てるために、現実を忘れるために、人が移動して、集まって、同じものを見る。時間をかけたものを一瞬で散らす。無駄なことをする。
花火は何度も見たことがあるけれど、同じ花火は見られない。軽トラさんと初めて見る花火は二度と見られない。だけど、必ず一度は見られる。それも今度。嬉しいなあ。
日曜日には、美術館に行く。軽トラさんは日本画が好きで、いつか習いたいと言う。
でも、時間がなくて、なかなか趣味をする暇がないらしい。
したいことがある人はいいなあ、なんとなく、良い感じがする。
日常をあきらめていない感じがする。
日常をこんなものだと考えるのは生きていく上で大切だ。鈍くならないとつらい場面がたくさんある。受け流すことでようやく息ができる。
でも、四六時中、麻痺していることもなくて、それ以外のときはしたいことをするのが一番良いと思う。
人生が一度しかないことを知っている人だといいな、と思う。軽トラさんにそういう風に期待する心が芽生えている。