c71の一日

生活の記録

精神障害者はどこにでもいます

「まともに働く」って? - ある精神障害者差別の論理(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース



すさまじい記事を読んでしまいました。ショックです。
誰でもどこに住んでも良い、というのが人権です。
人の命を守る仕事をしている人が、その大前提を崩そうとして、署名活動をしているなんて、とてもショックです。



グループホームを作ると、どうして、だめなんでしょう?
病気の人が近くにいるだけで嫌、というのは穢れを忌むことに他ならないのではないでしょうか。
法が、なにもしないのは当たり前です。そんな生存権を脅かす事態を、許容してしまう国になんて住みたくありません。



いろいろな事情で誰でも病気になります。精神も体の一部です。不都合が起きることもあります。
病気の人が身近にいるために、子どもに良い影響がある可能性だってあるかもしれません。
たとえば、小児科医の方のように、偏見を持たない大人に育つことができるとか。これは皮肉です。


精神病患者の人はたくさんいます。隠れています。
わたしはプライベートなことだからというのもありますが、態度を豹変させられるのが怖いので、実際には病気であることを言いません。それは、こういう小児科医のような方がいるからです。
言う、言わないは、自由なのですが、今は自由ではないと考えます。
本当の自由は、言ったからと言って不利益がない状態で、なおかつ選べると言うことだからです。


病気の人は働けない場合が多いです。
でも、病気の人は死ね、と思う人は少ないと思います。そうであって欲しいと思います。
病気の人は医療費を使うから、税金を無駄に使うし、だから死んだ方がいい、と言っているのと、この小児科医の人が住む場所から追い出す署名をするのは同じ気持ちから出ています。


働けない人は死んだ方が良いんでしょうか?
そうではないと思います。
何をしていなくても、存在するだけで、良いです。
命とはそういうものです。
役に立つとか、立たないとか、生きているだけで人を癒すとか、そんな理由なしで、人は生きていて良いです。


それは裏返って、自分を肯定することになります。
何の取り柄もなくて苦しくて、生きているのがつらくても、ただ生きているだけでいいと思えるのは尊いことです。