c71の一日

生活の記録

わたしは愛に向いてない

愛が重たい。


愛って便利な言葉ですね、と言われたから、おなかの中にある石が、少し柔らかくなった。


困ったら、否定意見もとりにいくから、今は必要ない。ごちそうを詰め込まれて消化不良を起こすように、一ヶ月前の愛の言葉が、今もわたしを窮屈にする。


いつまでも、子どもだから、というのは、愛情ゆえの言葉だけれど、わたしは真綿で首を絞められたように苦しい。わたしは大人だ。言うまでもなく。


親にブログを読まれることだけじゃなくて、見張られたり、あれこれ言われることは予測していなかったから、親にブログを教えてしまった。後悔。後の祭り。わたしが愚かだった。


わたしは親が私のことを知りたいのだと思って教えたのだけれど、ブログは教育の機会に変わってしまった。わたしが唯一のびのびといられる場所じゃなくなってしまった。



わたしはブログに書いてあることや内容について、言われたことを今もはっきりと思い出す。時間を選ばずに、写真を連続で映し出されたように、わたしの意思と関係なく、声の感じと自分の感情を思い出す。叫びだしたくなる。叫びだせないので、おなかにたまっていく。反論を十分にできなかったことで、本当に苦しい。



わたしの書くことに対して何か言われるのだと全く予想していなかったから、だまされた、悔しい、バカにされた、大事な場所を踏みにじられた気がする。


読まないでほしいとメールしたのだけれど、無視されてしまった。だから、わたしにはもうどうしようもない。あきらめるしかない。これは、わたしにとって、大きなことだ。だから、妥協のしようがない。文章を書くことはわたしの大いなる楽しみだ。だから、それを減らすように言われると、そこにどんな理由があったとしても、到底受け入れられない。



前回会ったときから、ずっと苦しい。もういやだ。一般的には、一ヶ月もたったのだから、という風に思うかもしれないけれど、わたしには無理だ。年月は全く作用しない。わたしは忘れることができない。気にしないこともできない。
本当にどうしてこんなことになってしまったのか。


こうなることを予測できなかった自分を呪うしかない。本当に呪わしい。惨めだ。