常識のなさ、常識にとらわれないこと
わたしは頑固で、常識がないと言われる。
融通がない。
でも、ネットでは、頑固だと言われない。
常識にとらわれず、自由に考えることができると、今も褒められたところだ。
わたしは褒められるととても嬉しい。
ネットでは、わたしの姿が見えないから、そして、わたしの動作のぎこちなさや声の調子も分からないから、意思の疎通が簡単にできる。
わたしには、文章を書く方が楽なのだ。
一人で考えて、一人で書くことができるから。
人と話すことはとても好きだけれど、聞き取れないこともあるし、相手の言いたいことや文脈を無視して受け取ってしまうこともあるから、申し訳ない気持ちになる。
だけど、ブログは、その人が都合の良いタイミングで読んでくれるから、好きなことを好きな分量で書ける。
量が長過ぎるという人もいるけれど、そういう人は、少しずつ読んでもらっても良いし、全く読んでもらわなくてもかまわない。
読みたい人が読んでくれたら良いなと思って書いている。
わたしの視点の独自性は、障害から来ている部分もあると思うが、多様な視点を獲得したくて、勉強をたくさんして来たことに由来する。
わたしは人の言うことに右往左往してしまう。だけれども、人間は思いつきで適当なことを言うから、あまり、真に受けない方が良いのだと学んだ。
何回言っても直さない人だって生きていけるのだから、わたしだって、そうしたって良いわけだ。
わたしは自分のことをいじめすぎるし、ダメだと思いすぎている。
良いところも実はいくらかはあるはずなのだけど、なかなか目に入らない。
子どもを教えていると、へんなところがたくさんある。
でも可愛い。
大人だって変な人はたくさんいる。いるけれど、かわいらしさがあれば許される場合が多い。もしくは権力がある人は許されている。
わたしは権力には無縁そうだから、せめて、変だけど害のないひとだというくらいの立ち位置を持っていたい。
そういえば、これはただの日記です。
今日は、仕事が休みなので、からだをゆっくり休めたいと思う。
そして、文章をたくさん書いたり、できたら革細工も作ったりしたい。