c71の一日

生活の記録

加害者性を認めること

国家と自分とが一体化している人は、国が加害者だったことを認めるのが無理なんじゃないかと思った。


わたしの加害者としてやったことは、なんだかんだいって、人を殺してはない。


でも、国は人も殺すし、集団レイプもするし、侵略もする。震災のときに祈ってくれた国を爆撃するための武器も売る。


だから、国とアイデンティティーを一体化させないとならないほど、脆弱な人には、国が残虐であることを認められないのではないかと思った。


歴史をひもとくと、大災害が起きたとき、国はとにかく戦争をする。もしくは大仏を作る。
それは飢饉になると、市民運動が活発化するのだが、それを抑えるために共通の目的を与えるのが良いからだ。



加害者性を閉じ込めると、戦争に繋がる。

だから、わたしは加害者だということを認めなくてはならない。
そして謝らなくてはならない。

直接は謝ることができない。
そして、認めて、語りたい。
語ることで、加害者であることを認められる世の中になってほしいから。

加害者であることを認めるのが出発点だ。


加害者が語ることで被害者が傷つくと言うことはとてもよくわかる。

わかるし、わたしも性暴力をした人に語ってほしくない。やっぱり。



関わりたくもないし。
でも、もし、世界のどこかに罪を認めて、謝るのならば、謝る行為自体は許したい。
とても難しいことで、頭がくらくらして、吐きそうになるけれど。


甘美な記憶としてや、美しい過去のような語ったら許さない。

反省してほしい。

そのことを望むし、その行動は許したい。


なぜならば、わたしが自分のことを許したいから。
戦争は嫌だ。
わたしはより良く生きたい。
勝手なことだが、荷物を下ろしたい。

だから、加害者にも荷物を下ろすことを許さないといけない。
罪だとすら思ってないとしても。
加害者だということをわたしのように抑圧していたら、反省にまでも至らないから。

反省してほしい。
そして、わたしは自由になりたい。
加害者であることからも、被害者であることからも。




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