c71の一日

生活の記録

マイノリティと、なぜへの回答

マイノリティをやっていると「なぜ」「なにかしてあげたい」と言われる。


わたしは、いつの間にかマイノリティになった。
女として生きることはすでにマイノリティであるが、その上に、メンタルヘルスを病んだり、発達障害になったり、DVからのサバイバーになったり、機能不全家族からのサバイバーになったりした。


それらは混然一体となっていて不可分だ。


そして、わたしは、逃げることで、「サバイバー」になった。逃げなかったら、むしろ「普通の人」のままでいただろう。そして、内心は今よりも病んですさんでいたのだろう。



自分から飛び込んでいったように見える禍に、「どうして」「なぜ」「あなたはそれを選んだのはなぜ」と言われた。


わたしはそれにこたえる言葉がなかった。というよりも、聞かれたくなかった。聞かれたくなかったし、支援も受けたくなかった。
しかし、生き延びるために支援を受けることを選択した。


生き延びたいかも定かじゃない状況で、善意に頼るよりは行政に頼った。なぜならば、善意はわたしに「なぜ」を聞くからだ。
行政は「今どうしたいか」にフォーカスしてくれた。そのような支援につながったのはとても運が良かったし、わたしに知識があって、うまく交渉ができた。



なぜ、を聞いて、納得したら、それらの人が支援してくれたかというと、それはまた別の話で、「なぜ」に納得したとしても、そのあと、彼ら彼女らの「規範」に即した被害者でなければ、わたしは支援を受けられそうもないと直感したときに、演技をした。


ただでさえ、生き延びたいかもわからない状況で演技をするのは、めんどうだった。


だから、隠し通して、ふだんは生きていた。隠し通せない相手には、支援なんて受けなくても大丈夫そうなのにとか、自律するように努力するべきと言われた。つまり、わたしの選択を「間違ったもの」だとしたわけだ。言ってほしくないことを言われたとき、言ってほしくないと言ったら、それじゃあとばかりに、親身になると言ってくれた相手はすたこらと逃げ去っていった。



助けてくれる人にこそ、こうされたら困ると言いたいのだ。


そういうわけで、行政の支援以外の人たちは、すっかりいなくなった。自分で、選んだ友達は、ずっと寄り添ってくれて、今では血縁よりもずっと家族めいている。




椎名さんが、わたしに対して、「なぜ」「選んだ」と言う言葉を使うことに、指摘してくれたのは、自分に置き換えてみたら、簡単にわかることだった。
それでも、わたしはそれを理解するのに、数日を要したし、結局、マサキさんのブログを読まないと指摘の内容も理解できない始末だった。



わたしは、自分がマイノリティになることを洗濯していなかったし、マイノリティとして生きていくことを受け入れ、仕事をすること、支援につながることを選択したけれど、それらはわたしの意思があるようで、なかった。全部流れの中にあった。


わたしが転落したのは失敗の結果だったかというとそうではなく、めぐりあわせも多かった。


生き延びるために選択した。と、わたしは他人についてかいたけれど、私自身の話をしたら「生き延びることを選択したくなかった」し、そのあとのことも選択したわけじゃなかった。そして、その過程のことを誰にも説明できる気がしない。そして、説明する必要もない。そう、椎名さんの言うことがようやくわかった。



混乱に次ぐ混乱の中で、一つ一つ乱暴に選ぶしかなかった。


もっとこうすればいいのにと、もしギャラリーがいたらそう思っただろうし、後から考えてああすればよかったということもある。
でも、これはわたしの人生なのだ。


だから、わたしは語らない。語れない。聞かれても嘘しか話せない。本当のことは私自身にもわからない。


そして、語ってはいけないのだ。誰かの話を。



マジョリティは、「なぜ」を聞かれない。聞くだけだ。決めつけるだけだ。生きるためだから許されるようなことをしたのだと、言われたくなかったのは、わたし自信も同じだった。


語ることを、求められるとき、それは、裁かれるのと同じなのだ。
だったら、語ることを求める人々は、わたしの神になれるのだろうか。
わたしは決してあがめないだろう。なんにせよ、ちっとも救済がなさそうだから。