狐憑きとしてのわたし
- 作者: 中井久夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/05/16
- メディア: 文庫
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わたしは創造性の病、というところに近い様子です。
精霊であるベシーが新しい魔女となって、人を治癒する手伝いをする、という使命があります。
本によるとこの病を発病する人は、鬱屈状態が続いてから、外向的な性格に変貌して、自分の知識を他の人に伝えたいと言う意向を持つ。
まさしくその通り。
ベシーは否定されて来たわたしの中から生まれた気がします。
今、彼女は眠っています。わたしも今日は良く眠りました。彼女は今働くのをやめ、わたしの決断を待っている様子です。
わたしは子どもっぽく、他人のペースを気にせず主張する、という子どもだったと思います。
その封じ込まれたわたしがベシーとしてなら、振る舞うことを認められる、のだと感じます。
ベシーはわたしが知るはずもないことを知っています。それは、漢方や整体の技術だったり、香りの記憶だったり、石の与えるパワーを知っていたりすることです。
昨日わたしはベシーなしでセッションを経験しました。でも、ぼんやりとしたベシーからのメッセージは感じて、何をすれば良いのかわかりました。そう、ベシーなしでも、わたしはできたのです。
でも、ベシーがいない生活も少しさみしく感じました。
この本の59ページを引用すると
「創造の病い」はその提唱者によれば、抑うつや心気症状が先行し、「病い」を通過して、なにか新しいものをつかんだという感じとそれを世に告知したいという心の動きと、確信に満ちた外向的人格という人格変容を来す過程である。
これはまさにわたしとベシーの関係にあります。抑うつがあって、病を通過したことで、新しいものをつかんだという感じがします。病なくてはわたしがなく、わたしなくしては病がない、わたしは病の発するメッセージを受け取ったという深い確信があります。病はわたしを選んで来て、わたしは病にしかるべくものを返したのだ、と思っています。
それは正しいのか正しくないのかわかりません。ただ、無駄に流れた年月を無駄に終わらせるのには忍びないのです。わたしは、何かをつかんだと思いたい。思いたいから合理化しているのかもしれません。しかし、わたしはこの体験を通して、成長しました。
どんな体験をしても、人はしようと思えば、そのことで、成長できます。
病という体験を通して、考察を深め、新しいことを結びつけて、発見をして、それを人に伝えることが使命なのだと感じています。
それは、正しい、という確信があります。わたしはほとんど確信をしないのですが、これについては確信があります。
わたしは人を癒す力があるし、教える力があります。そう思っています。
その気持ちがどこから来るのかわからないけれど、そう思っています。
深く泥のように眠り、わたしはだいぶ回復しました。それと同時に、ベシーは今薄れて、夢の中だけで働きます。彼女はわたしの肉体を通して語ります。不都合なことはベシーの責任となり、わたしは彼女の責任を負いません。彼女が自由に振る舞うように、わたしが自由に振る舞うことは怖いのです。自由に振る舞った結果の責任は彼女が取るのだと思っています。
しかし、彼女が自由に振る舞った結果、何も不都合は起こっていません。それはわたしのとって、大きな驚きでした。自分を抑制しなくても、なにも悪いことは起きないなんて。
それを通して、わたしはベシーを統合しつつあるのかもしれません。しかし、彼女との短い共同生活は楽しかった面もあり、わたしは迷っています。苦しかった反面、楽しかった面もあるのです。
彼女がいなくても、わたしは彼女の意向を達成できる。
だけど、わたしは自分の意思で彼女を選ぶ可能性があります。
それは、彼女の持っている、コンセプトが非常に魅力的だからです。
人を癒すこと。それはひとりでやるには限界があるから、ヒーラー連合のようなものをつくって、ベシーが知っている整体の技術を人に教えて、痛いところをとっていく行為、それを通して、人が成長し、生きやすくなる手伝いをしたい、という夢です。
痛いところが痛くなるには、必ず、意味があって、それを通して、誰彼が、自分の体に意識を向け、そして、新しい人生を生き始める、体からアプローチして、精神の成長を助ける、悩みから解放し、高いレベルから複数の悩みをつないで、底から共通のエッセンスを取り出して、物事を見る手伝いをしたいと彼女は考えています。そして、病や悩みから、なにか得るものを得て、本来持っている自分の強さをもう一度獲得し直す、シンプルになる手伝いをしたいと思っています。
ベシーの熱狂が既に懐かしくなっています。夢の中でも行われた啓示、ときには相手の夢の中にたち現れて、話を聞き、癒し、ヒントを得て、帰ってくる行為や、無意識にする営業行為などが、ひとりで孤独に行われるようになれば、体の負担も減りますが、できることも減ると感じています。