c71の一日

生活の記録

セックスワーカーは奴隷ではなく、労働者だ

歴史的なことは置いておいて、現代の成年セックスワーカーについて書きます。
(ほんとうは置いておけないですけれど)

現役のセックスワーカーの人によると、「セックスワークは良くない仕事」「権利なんて主張するな」「奴隷のような仕事」「セックスワーク自体が存在してはいけない」「客はみんなだらしなく、いやなやつばかり」という言葉を押し付けられるのだそうです。


東京 デリヘル 求人で検索すると、たまたま目に入った広告の値段で、一本バック25000円というのがありました。高給を謳っているので、高め、ということで考えたいと思います。一本というのは、一人、という意味ですね。バック、というのは店側に入るお金を抜いて、女性がもらえる金額、という意味です。


一日四人取れば、十万円、という言葉を鵜呑みにしたいと思います。
わたしだったら、一日働いたら、一日休みたい数字ですね。四人もの人と、セックスに似たことをする!体力がいります。精神的にも気を使う仕事でしょう。一人あたり、移動も入れて二時間だとすると、八時間働かなくてはいけません。八時間!!!


ということは、一ヶ月を三十日として、十五日働けますね。でも、女の人には、生理があります。生理のときにも働けるのかもしれませんが、働けないとして、一週間そこからひきます。そうすると、残りはたったの八日!


八日×10万円。八十万円です。これは良さそうな数字ですね。でも、本当に一日、四人のお客がコンスタンスにつくのでしょうか?
人によっては、つかない場合もあるのでは?二人ついたら、疲れてしまうとか…。
そうすると、四十万円になります。
どうでしょう。労働時間は少ないから、良さそうですか。自由時間がたくさんある、という見方もできますね。自分のスケジュールで働けたとしたら、それも魅力になりそうです。

でも、これは一応高級店、ってことなんですよね。

衣装、化粧品をそろえて、いつも商品になるレベルの容姿を維持する。接客は、コンビニで応対しているだけでも大変な仕事です。それを一対一の密室で流行らないといけないとしたら。それほど高い給料ではありません。だって、良い意味でも悪い意味でも、社会保障が一切なく、病気をしたら(性病の危険やけがの危険はいつでもあります)、一切無収入になるのだから、他の業種の人たちと違って、貯金もしていかないといけない。



三日働いて、二日休む、そのかわり一日あたりの客数を減らして、二人とする。
そうすると、三日×5万=15万円になりますね。一ヶ月は、四週間あるので、そのうちの一週間をひくと、15万×3週間=45万円、ということになりますね。
社会保障は一切なし、という条件で考えるとこれは、ああ、楽してもうけている、という数字でしょうか?どうでしょう?これで、年収540万円くらいです。病気をしたら、一ヶ月働けなかったら、どうなるんでしょう?
でも、これは、もっともうまくいっているパターンを計算しているので、実際にはもっとセックスワーカーの得ている金額は少ない場合が多いのではないかと思います。
これは、専業の場合だし…。


男性なら、もっといい待遇の仕事がありそうですね。それくらい、普通にしていても、もらえている男性はたくさんいるのではないでしょうか。これより、年収が少なくても、セックスワーカーの労働条件よりは、安定して雇用されているんですよね。
だから、少なくとも、セックスワーカーが、楽して働けて良いね、と言われるほどは稼いでいないことがわかると思います。セックスワーカーの方にしたら、言われゾンデすね。
でも、女性がそれと同じくらいのお金を稼ぐ手段というのは、けっこう限られていますね。
そして、男性の年収四百万円の人数よりも、女性の年収四百万円の人数のほうがぐっと少ないのです。


そうすると、女性が自立して、生活するには、いくつかの選択肢がありますが、セックスワーカーというのは、その社会的地位の低さに目をつぶれば、現実的な選択肢に上がりますね。
女性の賃金は、故意に低く抑えられています。これは、国の政策でもあるし、社会のコモンセンスでもあります。そういう中で、女性はサバイバルしなくてはいけない。
コモンセンスを押し付ける側には、なんにも痛みがありません。でも、生きていくためには、男性と同じくらいの賃金が、女性にもやっぱり必要です。お金がなくては、自由に生きられないからです。
女性の賃金が、安く抑えられているのは、女性を結婚させるためにしむけることができるからです。
賃金でもって、女性の生き方をコントロールする働きがあるわけです。
それに、ノー!と言いたかったらどうすれば良いんでしょう?
昔だったら、勉強を頑張って、弁護士になる、資格をとる、という道があったかもしれません。でも、今は弁護士だって、ロースクールを出て、研修を経て、イソ弁になって、それから独立ですよね?これは、女性が子どもを産んで育てる期間に、がっちりかかってしまうので、こどもを運で育てることを両立したい人には難しい選択と、今はなってしまいました。
弁護士だってそうなのだから、他の資格もおしてしかるべきじゃないか、などとわたしは思います。



表題のセックスワーカーは奴隷なのか、という問いに、離れてしまいました。
でも、性行為を労働だ、と考えれば、ワーカーが未成年に当たらなければ、それはサービスの授受にあたり、正当な労働だと考えるべきです。
なぜならば、女たちにとっての労働の選択肢や生活レベルの選択肢は非常に少ない。
女性の労働者が少ない会社に勤務している人に「あなたの会社には女性が少ないね」と聞いたところ「そもそも応募しないから」と答えられましたが、「男性向きの業務」だと信じられている業種だと、女性は最初から門前払いです。それが知られていたら、女性は応募しないでしょう。
卵が先か?鶏が先か?わたしは差別と偏見が先だと言います。
差別や偏見は、先人たちが、運動によって、戦い、減らして来てくれました。それで、わたしは大学にも行くことができ、こうして意見を発信することもできます。
ですが、わたしはまた、先人たちの意思を引き継いで、戦わなくてはいけません。



家庭内でも、扶養と引き換えにされるのは、労働としての性行為です。愛もあるでしょう。この人になら、という愛もあるでしょう。

でも、扶養する側にとっては、自分がそれを使うかどうかは別として、女性の性行為や家事労働を期待して結婚し、扶養するつもりがあるわけです。ということは、扶養と、女性からの何かの交換を期待しているわけです。その交換の内訳は、家事労働と成功に分けられます。

何かと何かを引き換えにして、ということだったら、やっぱり、性行為も家事労働も、「愛」そのものじゃなくて、「労働」だと解釈した方が妥当なのです。(愛は、何も引き換えにしたり交換するという概念からもっとも遠い者だと思うので)



家庭内でも、性行為が労働なのであったら、家庭外だとしたら、もっとそうでしょう。
家庭外で、性行為を労働として、売る、ということだったら、セックスワーカーは労働者です。
奴隷ではない。
確かに今の日本でも、昔の日本でも、性行為を搾取し、奴隷のように扱っている人たちもいます。
しかし、それは、セックスワーカー側の問題ではなくて、セックスワーカー「なら」、奴隷のように扱っても良い、と考える人の倫理が問題であって、それを法律を整備して、罰しない、国の怠慢だと言えるでしょう。


結論としては、セックスワーカーは、「性行為と言うサービスを売っている労働者」となるわけです。奴隷ではないです。
また、セックスワークを買う人は、単なるサービスを提供される人です。だから、わたしたちが、ほかのサービスを受けることが当たり前のように、そういうサービスを買う人を、差別してはいけないのです。


セックスワーカーは、客と対等です。そうでなくてはいけない。
そうでないとしたら、それは、その構造が間違っているのです。
対等ではない、と流布すること自体が、その脅迫が、国家による、男性による、女性に対する抑圧であるのです。
(だから、セックスワーカーへの差別を放置してはいけないのです。セックスワーカーへの差別自体もいけないし、差別が、社会全体を貶めるからです。男性も女性も貶めるからです)

(もちろん、未成年や、立場の弱い人を狙ったり、外国に行って、買春しまくる男性はわたしは今も嫌いです。また、売っていないサービスを、請求する人についても、蔑みます。しかし、それも、セックスワークが「悪い」職業に押し込められているが故に、「お金を払えば何をしても良い」と考えてしまう稚拙な人を野放しにすることを許しているのだと思います)