六帖さんのこと
ある日六帖さんから連絡がきて、塾のことを聞きたいというのをきっかけにSkypeを二週間したら、家に来た。
その日から一緒に暮らしている。
最初は好きでもなんでもなかったのだけど、最近はいないとひどく寂しい。
六帖さんは在宅の仕事だから一日いる。でも出掛けるときもある。わたしは体調が悪いから家で待っている。寂しい。
わたしが外で働いているときは、寂しかったときもあるんだよ、と六帖さんが言っていた。
でもそのときにはそんなことは言わないでいてくれた。
わたしを養うことになるのとひとりでお金使い放題なのとどちらがいいのか聞いたら、養うなんてそんなに大変じゃない、一緒にいる方がいいに決まってると驚いたようすだった。
人を養うのはたいへんなプレッシャーだと思うのだけど、六帖さんはそういう面で覚悟があって大人だ。ときどきこどもみたいだけど。
友人が泊まりに来ている間、洋服で寝ていたから、なんで?と聞いたら、洗濯物を減らしたいとのことだった。友人が洗濯物を干してくれたので遠慮したらしい。難しいと思った。
六帖さんはかわいげがある。一生懸命だ。
料理をするときも嬉しそうに楽しそうにする。
なんで男はみんなこんな楽しいことしないのかわからない、やれば楽しいのにという。
やりくりも、冷蔵庫の中身の管理も、買い物も六帖さんがやる。
毎日やってる。
すごいと思う。
わたしは話し相手になったり、仕事の話を聞いたり、アイディアを出したり、決定、計画、管理をしている。
正直、楽だと思うのだけど、そういうのは苦手だからやってもらうと助かると六帖さんはいう。
わたしがブログに何を書いてもいいとも言う。というか、制限をかける立場にないと言う。
わたしのテキストを好きだと言う。
縦書きエディタを二人で作っている。
少しずつできていく。
六帖さんはデバッガーで、わたしはプログラムのことがわかるから、いいコンビでできる。
イーパブに保存したり、注を簡単に入れられたり、目次を簡単に作れる機能を作るつもり。
家で自営でしばらくわたしはぼそぼそやるつもり。
できることを探して少しずつできることをする。
わたしの文章はマジョリティを非難するものばかりだから一般受けしない。
きっと、すごく売れることはないだろう。
そう思うけれど、誰かに届けばいいと思う。
ときどき心は揺らぐけれど、わたしの文章を見つけて六帖さんはやって来た。
一人には届いた。
これからも続けていく。
わたしは独りだった。
それが幸せだった。
独りでいたら、家族にひどいことをされることもない。
それだけが幸せの根拠だった。
でも今は違う。
独りだと寂しい。不思議な気がする。六帖さんがいないと寂しいという気もち。そういうのが発生した。
たくさんの人に文章を読んでほしいという欲がある。でも、誰かに媚びたら、本当には誰にも届かないものができて、大切にされなくなってしまう気がする。
わたしは今日も文章を書く。
わたしはなにもできていないけど、文章を書いているときだけ生きている気がする。
誰かの気持ちを軽くするものをこれからも書いていきたい。
六帖さんは、確かにわたしの文章を読んだ。