c71の一日

生活の記録

六帖さんの貧乏と、趣味

六帖さんは、ある日やってきて、一緒に住むことになった。
普通なら、「面倒」「怖い」と思うらしいのだけど、わたしは「断る理由もない」ということで、一緒に住むことにした。
この「断る理由がない」というのは、わたしの独特な考えらしいのだけど、会ってみたら、一生懸命な感じの人だったから、かわいいなと思った。


見た目はおっさんそのものなんだけど、やることがかわいい。
今日はピアノの練習をしたり、物理の勉強をしたり、家計簿をつけたり、ドラムの練習をしたりしていた。
その間、わたしは踊ったり歌ったり、昼寝したりしていた。
お昼ご飯は私が作ったけれど、朝ごはんのパンは六帖さんが焼いてくれる。夕ご飯は、鶏むね肉をローズマリーとで四十分もオーブンで焼いたものを食べさせてくれた。


うちでは、仕事をして稼ぐのも、家事をするのも、金銭管理も六帖さんがする。
わたしとはいえば、六帖さんの仕事のアイディアを出したり、ごろごろしたり、昼寝したり、掃除機ロボを発動させたりするばかりだ。


六帖さんは、自分の身を犠牲にしても、苦痛を感じても、気づかないで、頑張りすぎてしまうから、ときどき、水を飲ませたり、お風呂に入れたり、ご飯食べようと誘ったりする。


六帖さんは、DVを受けていた前の家庭では、果物を数年に一度しか食べていなかった。


今日は、梨を十一年ぶりに食べた。食べている六帖さんを見て感動した。


ピアノも、ドラムも、前の家では禁止されていて、趣味も奪われて、ただ、お金を稼ぐマシーンとして、物置に隔離されて、ご飯の量も二百グラムまでと決められ、冷暖房のない物置で過ごさせられ、家族に、自閉症が移るといわれて、会話も禁止されていた。そして、ほかの人に会うための外出も禁止されていた。


他人と話すことそのものが、数年ぶりだった六帖さんだ。


六帖さんは、過酷な生活を送りながら、一人暮らしに成功した。
彼は貧乏だったけれど、週末には、無料のコンサートに行き、図書館を巡って、本をたくさん読んだ。100冊以上読んで、レビューを書いた。音楽も聞いていた。


だから、六帖さんは、死ななかった。のだと思う。


趣味がなければ、何のために苦しみの人生を続けるのかがわからなくなるのだと思う。

わたしは、今本は刺激が強すぎて、読むことができない。だから、趣味がとても限られている。


ピアノも、わたしは、子供のころに少し習ったけれど、先生にひどく怒られたので、楽器そのものが怖かった。
でも、六帖さんが楽しそうに弾くので、昨日から少し触ってみた。音が出た。それは楽しいことだった。



六帖さんは貧困だったけれど、教育を受けていたから、自分がどうすれば生きていけるのか、効率の良い買い物の仕方や、生活の仕方を工夫できた。だから、彼はもっとひどい貧乏の人はいるし、僕の貧乏はたいしたことがない、という。


たいしたことのない、貧乏はない。


幸せの形がさまざまであるように、貧乏である生活もさまざまだ。先のことを見通したり、計画的にお金を使ったりすることは、学ばないとできない。余裕がなくてもできない。今生き延びるために、ひと時の楽しさを求めなくては、やっていられない、生活がある。


わたしも、五年前は、ひと月十万円で暮らしていた。
やることがないから、ツイッターを眺めていた。


少しずつ、収入が増えたのは、四年前のことで、それでも、貯金はできなかった。ないものは、どういう風に節約してもない。



六帖さんと、わたしは、楽しい計画をたくさん立てている。
ホームページ作り、電子書籍づくり、エディターづくり、寺子屋、そういうことを少しずつやっていけば、楽しいことも増えるだろうと思っている。


六帖さんは、今、高校の物理と大学の物理を勉強している。大学生を教えることが決まったからだ。
それも、六帖さんには刺激になって、楽しいらしい。
ずっと、学びなおしたいといっていたから、わたしもとてもうれしい。


六帖さんは、十年ぶりに食べるものがたくさんある。十年ぶりに自由になったから、できることも増えた。
わたしは、まだ体調が悪いから、何もかも一緒に経験することができないけれど、一緒にいて、楽しそうな様子を見ているだけで、うれしいなと思う。


わたしが六帖さんの役に立つことはほとんどなくて、六帖さんは最初から「あなたの世話をしたい」といったことを守って、わたしのせわをしてくれている。


わたしが返せることはないよ、というと、わたしの家に来られなかったら、今頃腐乱死体になっていたか、ランニング中に死んでたよ、という。それだけで助かったんだよ、という。


六帖さんは、ときどきフラッシュバックを起こす。わたしと前の家族と、同じようなことを言われたとき、時間が戻ってしまうんだ。


でも、わたしと六帖さんは、一緒に生きていけるんじゃないかな、生きていきたいなと思う。
六帖さんは、わたしの味方だ。


ずっと一緒にいる約束をした。
わたしたちは、楽しいことをしていく。
今日は、宇宙船ごっこをした。そういうことも楽しいのだ。
わたしは具合が悪くて、まだ外に出ていけないけれど、家の中で働ける仕事を見つけて、いろいろやっていきたい。


趣味がないと、人は死ぬのだ。娯楽がなければ、どうして生きていないといけないのか、わからなくなってしまう。
娯楽はともしびなのだ。