c71の一日

生活の記録

障碍者として生きる

障碍者になる前も、わたしは困っていた。
診断が出てからも、わたしはまだ障碍者じゃなかった。
そのあと便利にするために、障碍者手帳を取得した。
そして、わたしは障碍者になった。


生きること自体に困難を感じていた。名前がついて、それについて調べられるようになった。
診断がついても、生きやすくはならない。
病気は、環境への正常な反応だから、環境を変えて負担を少なくすると、生きやすくなる。
薬で治療しても、それは、環境に適応するために無理をしているだけだから、結局、環境を変えることでしか、生きやすくはならない。


わたしはたまたま、パートナーの六帖と出会って、ケアをしてもらえるようになったから、生き方を変えることができた。
今は療養をしている。これからは、ホームページ作成や、店舗の出店の手伝いをしたりしながら、なるべく家でできる仕事をしたいと思う。パソコン一つで仕事できるのならば、旅から旅の生活ができる。


人と関わることは好きだけれど、上下関係がある世界ではもう働けない。自分でできることはたくさんあるから、そうやって生きていこうと思う。


障碍者と言っても、いろいろな障碍者がいる。わたしのようにできることが、まあまあある障碍者もいるし、できることに出会っていない障碍者もいる。生きていることに精いっぱいの障碍者もいる。


何もできなくても、何も役に立たなくても、生きることをバックアップするために社会がある。
でも、社会が、障碍者を殺す。


いわゆる健常者と言っても、できることがあるとは限らない。
できることがあれば、生きていてもよくて、できないことがあれば、死んだほうがいいんだったら、みんな死ぬしかない。
「できること」というものは、時代が決めることだから、時代によっては、スキルをつけても、産業ごとなくなることもある。そうしたら、あるとき、「できることがある人」であっても「できることがない人」に変化する場合がある。



死んでほしい、と言って、人を殺す事件があった。誰にも、人を「この人は生きてもいい」と決めることはできないのに。
自分のことでさえ、自分は生きてもいい、生きてはいけない、なんて、決めることは間違っている。


「この人は死んだほうが幸せだ」と勝手に思うことも、間違っている。


社会は人の命を守るための集合体だ。弱い人も強い人も、悪い人も良い人も、生きていられるようにするための集合体だ。


それを壊す行為は許されない。だから、相模原事件で論争が起きること自体が、理解できない。


はたから見て、「この人は死んだほうが楽かな」と思うこと自体は止められない。
でも、口にすることは間違っている。それは、社会の否定だし、社会に生きる自分自身の否定だから。
人の命を、コントロールできる、と思うのは思い上がりだ。
誰が生きているのが良くて、誰が死ぬのが良いのかなんて、考えること自体が罪だ。


わたしにも死んでほしい人がいる。嫌がらせをされたら、死ね、殺す、と言ってしまうこともある。わたし自身の命が危機にさらされているときにはそういう。


でも、殺したことはないし、死なせたこともない。そこにブレーキはある。


野に放たれた危険な人がいる。精神科のお医者さんが、入院患者は、自分の病気を把握して、それと向き合っている人たちだ。尊敬すると言っていた。
しかし、野に放たれた危険な人は、自分がなにかまずいことになっていると、自覚していない。精神病の人は、治療を通して、自分の困ったところを自覚して、向き合っている。



病院では、自分が困っていると自覚している人が集まる。精神科に入院をしていると、そこをついてくる人がいる。
わたしから見れば、そういう人こそ、まさに「野に放たれた危険な人」だ。自分自身に向き合うことをしていないから。


相模原の事件は、自分と向き合うことなく、外部に原因を求めた事件だと思う。自分と向き合わず、ただ、自分の保身と、勝手な思い込みで、人の命を奪った。理性的に、計画的に。


わたしは理性を信用しない。合理的に、理性的にふるまって、人をたくさん殺した歴史を知っているから。



感情はとても大事だ。何かをいつくしんで育てることや、手助けしながら生きることが大事だ。

そこから切り離されて、自分自身の中に沈み込んでしまったとき、危ないことが起きる。
それは、病気とは関係ない。病気は、単に、自分の生きづらさの一つの表現だ。
生きづらさを表現せずに、工夫もせずに生きてしまって、外部に、生きづらさの原因を求めたとき、残酷なことを人はするのだと思う。


病気の人を、狂っているという人がいる。判断能力がない。まともじゃないと。


しかし、まともに考えて、くるっておらず、判断能力があって、恐ろしいことをする人がいる。
その人たちに名づける名前がまだない。人を殺すことと、病気は関係がないのに、それをごっちゃにする人がいる。
病気は人を殺さない。


理性と、正義感、私怨が人を殺す。


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