学べないけど学んでやるぜ
わたしは、死ぬような気持ちで、働いていて暴力を振るわない男を欲していた。
そして手に入れたんだが、やっぱり許容できない線があった。
人権感覚に問題ない男ってどこにいるんだろう?
いるんだろうな、身近にいないだけで。
そういうことを思う。
わたしは、いろいろ人間について、学びにくい環境で育った。
だけど、学ぼうと思う。
人は幼少期に幸せに育たないと、もしくは育ちが本当に良ければだます人を見抜けるように育てると、いうけれど、どちらでもないわたしは、自分で自分を育てるしかない。
自分の失敗をまっすぐ見つめて、学んでいくことができるはずだ。
わたしは、いやなことはいやなんだ。
「利用すれば良いのに」「こうすれば賢いのに」と言って失われてしまう言葉にできないことが大事なんだ。
私の考え、下記を読んで、「生きづらい人だな、利用できるものがあれば利用すれば良いのに」と言った人がいるが、大きなお世話だ。わたしは利用したくないんだよ。そして、そういうのが効力を持つ世の中が憎いんだよ。そう言う形で適合したくないんだよ。c71.hatenablog.com
すごい生きにくい考え方だな〜利用すればいいのにもったいない。着てる服で仕事の出来が違うなんてそれは… https://t.co/PyC6lH2Qw6
— asami (@asami_faso) 2015, 7月 13
わたしは差別がなければ生きにくくない。
差別があるから生きにくい。
だから、差別をなくしたい、それだけ。
差別を内面化して、自分自身を裁くようにはなりたくない。
サバイブするために、差別を利用するのは良いさ。
だけど、それを内面化しきって、他人までジャッジするようになると、もう、差別心と自分が区別できないくらいに、なっているね。
それは、もう、差別の状況を利用することができていないと思うんだよ。
飲み込まれてしまっているからね。
自他の区別がついていないようになっているからね。
自分が差別をされていることを受け入れていて、他人にもそれを勧めるようになっているって、本当におかしいことだから。
差別を利用しながら、飲まれながら、それでも、差別があるって、声を上げていくのが大事なことだ。
差別は誰のためにもならないからだ。
見た目で、採用不採用が決まり、能力に偏見が持たれて、誠実に査定されないって、誰から見ても損失だ。
見た目も能力のうち、なんて言っている間に、大切なものがなくなってしまう。
わたしは、言葉にならないものが大切だと思う。
差別は、言葉にできない、心の中の大切なものを壊す。
わたしには、確かに常識が少ないさ。
だけど、それに救われている部分だってある。同調圧力も感じにくいし、図太いんだよ。
わたしはそういう意味で、生きにくいなんてそんなものじゃない。生きやすい。
そして、差別に気がつきやすい。
それに抑圧を感じやすい。その部分は、生きにくいね。
でもね、わたしは言葉にできるんだよ。それがさ。
差別がある、って気がつくってことは、センサーが発達してるってこと。
ああ、危険だな、わたしの心が危険に晒されている、すり減ってしまうかもしれない、って気がつけて、その環境から逃げ出せる。そういう力があるってことなんだ。
わたしは、この失礼な人をスルーしないし、そして、わたしはもっと学んで、うまく言葉で表現できるようになる。
わたしは、差別を利用しなくても、大丈夫な職場を手に入れたんだ。だから、この差別には関わらなくて良いんだ。本当に嬉しい。
生きにくいなんてことはない。わたしは抜けられたんだから。
差別のセンサーがあったから、抜けることができて、ひとつ、ストレスが減ったのだから、わたしはむしろ生きやすい。
人間は、花じゃないし、産む機械じゃないんだよ。
見た目でお金稼いでいるわけじゃないわけ。
そしたら、労働の成果、人格、そういう部分でお金稼げてないといけないわけ。
それなのに、そこに、綺麗であれ、って呪いをかけられたら、邪魔でしょ。
その、邪魔だ、って感覚がないのは、あほらしいよ。
容色は誰でも衰えるからね。手間も暇もかかるからね。苦痛もお金もかかるからね。
高価な取引だよ。時間てもの、かかるんだから。
ああ、ばかばかしいな。
技能と能力と、まあまあ人をイライラさせないで済むくらいの人当たりがあればそれで良いと思うのだけど、常識や普通って言葉は、ほんとに、差別と親和性が高いな。
普通とか一般的にとか、そういう言葉を使う人は危険だから距離を置かせてもらう。
その方が、心の中が平穏で静かでいられる。
わたしたちは、人間だから、付き合う人を選べるんだ。
そう思うよ。
仕事では仕方がなくても、普段から差別心のある人と関わりたくないよ。
わたしは、学べないけど、ゆっくり学んでいる。
それで良い。